自分の中の感情や価値観のレイヤー
があると思う。
、、昨日までの、その自分の中において最上級であるブラックでダークネスな思い出と数々の味わい感じ続けたりグサグサと痛め付けられたような側面はあるひとつの層であっていつも表に出るものではなくバックグラウンドであったり心の奥底にしまわれてしっかりと鍵をかけられて固く閉ざされ自分の事ながらも常日頃からの自分には影響の無いような場所に追いやられているのが、まぁ常なる状態ではあるかなと思う。
そんな精神状態では楽しくはない面白くはない。
そりゃあ自分は好きなものや楽しい事や好奇心や知識欲を満たされるような思いを感じたり経験していたいものである。
であるからして、平生の自分はそんなにネガティブやってる暇あったら楽しいとかポジティブがよろしいなと思い、そういったものを選ぶ選択するという心の姿勢の人間ではある。。
合うor合わないの話だとは思う、一緒に居てお互いが幸せ楽しいポジティブに居られる平等に等しく→これは合うだと思う、、しかし昨日までの私のような心持ちになるネガティブでしかなく自分に価値を見出だせず可能性も希望も全部ぶった切られたような人生終わりみたいなようにしか思えないような言葉を投げ掛けられたりそういう人間関係や出来事しか産まれないようなもの→これはそもそもが合わない、お互いに人間性が合わない、一緒に居なくてもいいし、お互いが相手の意見も嫌な事言われるのなら聞かない受け入れる必要性もない。
誰もが、自分自身を守って、大事大切にするのが、ありのままの本当の自分で居る事こそが本当の幸せだと思う。。
無理はいけないと思う。
結局は、類は友を呼ぶ、自分の抱いている某かが同じようなものと引き合う、磁石のように。だったら自覚出来たものから選び直すが最良である、し、逃げるは恥だが役に立つみたいなで多少ぶっきらぼうになっても自分を守るためにはちょっと愛想の悪い人のようになってると感じてもその場や人から距離を取り離れる事は悪い事じゃない、むしろ自分にも人にもいい事であるとさえ思う、それがもし本当に自分あなたにとって辛くて嫌だとか何か違和感があってなんだかわからないけれどもう違うと思えるのなら。