ayasansan’s blog

思うままに感覚や表現を書いてみたり

表現であれば何をしてもいいのか

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と、時々思ってしまいます。。

例えば、映画やドラマに漫画、、美術作品においても言えるし、デモや政治においてなども。ネガティブなアクションや行動が許されるのか。身体的に精神的に誰かが嫌な思いをするものが正当な理由やビジネスや表現の自由を掲げているのならば許されるのか。それを見て誰かが快く感じなかったり、誰かが苦しくなったり悲しんだり心を痛めたり涙しても、許されるのか。自分に照らし合わせた時に、そういうのって自分の子供に見せたり伝えたいですか?と思うのですが、いかがなものでしょうか。

絵を描いたり、人と話したり関わる時、自分自身はお互いに快く何かいい感じであれて「ああよかったなぁ」って思えるのならそれでいいと思ってやって来ました。基本の心の姿勢や方向性が「より良く」であるのならば、誰もがもれなく皆が良く感じられるのならばと、逆を言えばそれが出来ると信じているという事です。

色んな経験があります、多種多様な、諦めや行き止まりも、だけれども何よりも残って行くのは「次に繋がる、可能性がある」というようなまだ先に進めるというようなポジティブさの方にフォーカス集中して、目の前の事に取り組むという心の姿勢や在り方こそが重要と言いますか大事大切にすべきなのではないかなと思うのです。

そういう方向へ導いて行けるのなら、その表現はきっとそれこそより良い現実へと続いているだろうし、私自身もまたそういう人間でありたいものだなと、こうして書きながら改めて思うのでありました。