本当のものは何かとか。
学生時代はずっと考えていました。
絵にしか出来ない事を。
誰か何かどこかと同じではそれらに必ず埋没するみたいな観念があった、し、今も感じつつはある。
YouTubeを始めてみたけれど、それを改めて感じているのはそこで今某かを経験している自分自身が何か反応する自分の内なる何かがあるからだとは想像はつく。
目に見えないものの話。
今までも話の合う人はその時々でも数人で、時の移ろう中でも一緒に同じ志を共有する人というのも移り変わり続けて来た。
アウェイでマイノリティ少数派が普通で当たり前の自分でここまで長い間、自分という人間をやって来た。
自分への共感者が少なかった分、自分はまわりの人への共感を出来得る限り自分に正直で嘘の無い範囲内でやって来たと思う。
それは自分がそういう人に会いたかったし、そうされたかったからだとは思う。。
自分、であろうとする、本当の自分だけで居る事は、時に孤独で、、しかし自分は自分以上の何者でもないのは明らかでわかっていたのでそういう覚悟だけは確実なものであった、私の中で。
持病もあったし、難病で、手術が遅れてたら死ぬとか植物人間になるところだったとか、小学校6年生で、手術は女子なのに丸坊主にせねばならない脳の血管の手術だった、もやもや病は完治がなく今もある、幸いな事に容態は安定しているけれど季節の変わり目や暑さアルコール疲れなどによっては発作が起きそうになるし、自分の体調には常に意識は向いている、、だけれど、これは私自身にとっては普通で当たり前であり20年間それが続いており、現にそれで今までこうして生きて来た、水をたくさん飲んでたくさん寝て疲れたら無理せず休む事だけしか自分にはこの病気に対して出来る事はないが、あとは皆全部自由であり何しようが私の勝手気ままのなんとやらではある。
総じて、自分はあらゆる面において、自分なりの経験則から思い感じる物事はある。
、、一度は死んでいたかもとか、どこから来てどこへ行くのか、この肉体も精神も、この言葉でさえもどこから発せられ出て来ているのかとか、、あらゆるものへのクエスチョンとか。。
なぜかそういう思いを書き留めたくなって今日はそんな事を書くのでした。